概要
名称:貞昌院墓地
経営主体:宗教法人貞昌院
形式:寺院墓地
宗教・宗派:曹洞宗
所在地:横浜市港南区上永谷5-1-3
施設:駐車場、水道施設あり、トイレ、客殿、永代供養塔
開山:天正十年(1582年)
特徴
- 横浜市営地下鉄『上永谷駅』より徒歩5分由緒ある曹洞宗の古刹である。
- 墓所から上永谷や平戸方面一望でき、見晴らしの良い墓苑。
- 管理が行き届いている清潔感のあるお寺、駐車場も広く、横浜市環状二号線沿いにあるお寺。
- 春のなると、お寺の敷地内一面桜が咲き誇り、花見の名所でもある。
- なんでも相談に乗ってくれる気さくなご住職が墓所の案内もして頂ける。
由来や歴史
貞昌院の創建は天正10年(1582年)であり、それ以前は、天性院と称した天台宗の宿坊がありました。足利時代に一時廃絶されたと伝えられます。かつての鎌倉街道下之道(しものみち)沿道に上之坊、下之坊という二坊があり、下之坊には菅原道真 四男、管秀才淳茂が起居し、道真自刻の尊像を奉祀して朝夕崇拝していたとされます。天正10年、天神社を再建するにあたり、領主上杉刑部大輔藤原乗国(宅間藤原規富)が川上(戸塚区川上町)徳翁寺の第四世住職 明堂文龍大和尚を請し、上永谷町字籠森(かごもり=現在の上永谷駅付近)に寺院を建立しました。これが曹洞宗としての貞昌院の始まりです。
以来、貞昌院が天神社の別当寺院となりました。創建当時は貞昌院と永谷天満宮と天神山を挟んだ位置関係にあり、文化14年(1817年)に、貞昌院は現在の永谷天満宮に隣接する場所に移転しました。貞昌院は、明治19年(1886年)の火災により、堂宇が消失してしまいますが、本尊十一面観世音菩薩像と欄間彫刻などは、近隣檀家の方々によって無事搬出され難を逃れることができ、明治34(1901)年、第28世無外源量大和尚の代に諸堂が再建されました。その後、大正12(1923)年の関東大震災により倒壊してしまいますが、震災の翌年にはそれまでの茅葺から亜鉛葺きの伽藍として再建されました。
昭和46年(1971年)に、本堂および客殿の屋根が銅版葺きとなり、現在の姿に改築されています。
永代使用料
面積 | 使用料 | 墓石代金 | 護寺会費 | 墓地管理費 | 残り |
90cmx120cm 1.08平米 | 75.6万円 | 80万円(税別)~ | 5,000円/年 | 4,000円/年 |
多数 |
※:ほかのサイズの墓地はご相談ください、永代使用料は70万円/平米になります。
※:デザイン墓石をご建立できます。https://minatosekizai.com/product/desgin-tomb/