概要


名称:東学寺墓地 
経営主体:宗教法人 東学寺
形式:寺院墓地
宗教・宗派:臨済宗建長寺派 
所在地:小田原市別堀74
施設:駐車場、水道施設あり、トイレ、客殿、永代供養塔、薬師堂
開山:応安元年(1368・正平23年)

特徴


  • 元光山東学寺は、応安元年(1368・正平23年)、大年祥登禅師が開山した、臨済宗建長寺派の古刹である。
  • 小田原市の人気エリア、巡礼街道の近く、近くには大型ショッピングモールやホームセンターが多数あります。
  • 国府津駅、鴨宮駅、小田原厚木道路、東名高速からのアクセスはいずれも10分ほど

重要文化財


かながわの仏像:県内では、数少ない清涼式釈迦像の大変貴重な遺品である。原像が、京都嵯峨清凉寺本尊であるため、嵯峨式釈迦像とも呼ばれる。原像は、永観元年(983年)に入宋した奈良の奝然(ちょうねん)が、合州開元寺にまつられる栴檀(せんだん)の釈迦像(インドの王が名工に作らせたと伝える)非常な感銘をうけ、魏氏桜桃製の模像造立を張延皎、延襲兄弟に託し、雍熙2年(985年)八月十六日に完成させた。翌年帰朝して永延元年(987年)入洛、比叡山に相対する愛宕山に、延暦寺と肩を並べる大伽藍(がらん)の造営を志した。嵯峨に、この像のための寺ができたのは、長和五年(1016年)に奝然が示寂した直後、ともに入宋した弟子の盛算によってである。
中国開元寺像が、三国伝来の生身(しょうしん)釈迦と赤められていたため、清凉寺像にも、絹製の五臓六腑が納入され、生命を与えられたのである。当時としては、極めて実物の臓腑に近い驚くべきものである。平安後期以降、安楽往生を旨とする来世的な阿弥陀信仰がまん延する一方、生きることを肯定する現世的な釈迦信仰も根強く、その対象の代表ともいえるのが、この清凉寺式釈迦像なのである。とくに鎌倉時代の復古主義や模像製作の風潮が、この釈迦像模刻を助長することとなる。共通の特色は、縄目状頭髪、彫眼で黒珠の瞳、水晶入りの耳孔、流波状衣文の通肩法衣、などである。ほとんどが香木で等身大に作られ、彩色を施さない(截金文様入り)、素木(しらき)仕上げとする。
当像は、原像にほぼ忠実な模刻像である。ヒノキの寄せ木造りで、像高は一六五センチあり。その特異な風貌(ぼう)と尊容が圧倒的であり、釈迦像としての存在感が協調されている。造立期の推定は難しい。南北朝前後、十四世紀か。
当寺は、小田原市別堀にある建長寺派の禅寺。応永十五年(一四〇八)五月十五日に示寂した祥登和尚が、応安元年(一三六八)に開山した。寺へは、国府津-鴨宮間のバスで高田入り口下車、北へ徒歩十分。(文:山田泰弘)